おれに言う



根底にあるのは何かと言えば
それは黒いものなのかもしれない 廃油のようなものかもしれない
ベトつくどころじゃ
済まされない
無力感が地下を流れている
何をやっても もうムダなんじゃないかと
そういう気持ちは ある
小学校高学年で閉じこもって
ひたすら家でテレビを見続けそのあたりで9.11も起こったり ニュースペーパー
ワイドショー
バラエティ
再放送
 「信じられませんね」
「誠に遺憾であります」
とくダネで
得をした日なんかなかった
消えたほうがいい気がした
せかいまるごと

信じろよ、
流しといて信じられないじゃねえよ
ごめんなさい
って言えよ
そこで辞書を引かすなよ

人を見下せる
人が分からない
「おれはちゃんと税金も払って子どもも養って会社でもそれなりの地位にあるし車も乗ってる」からって あなたが路地裏の花を無条件に踏みつぶしていい理由に なるか?
運がいいだけだった、
と思ったことが一度もなさそうな人たちの長い列
もちろん
運が左右するところまで自分の足で歩くことは立派だ、
けど、ならない。
人間が高尚な生き物だと思ったことはない
おれには分からない
こんなことが書けることが
まず、幸せなのか
自惚れか
余裕なのか
今さらエジソンを恨むつもりはない 発明は偉大だ
ユリイカ!

職場の後輩に
教えられることがない
おれは
「極力怒られない働き方」
しか知らない
極力 人との衝突を避ける生き方を 教えろって...
今 少しずつこうやって、
気付こうとしてるのに 。
教えるなら、
どうせ伝えるなら、
「せかいに通用する働き方」を教えたい
おれはまだそれを知らない
修行の身、なんだ

今、
あのころの 絶望が
諦念というものに
変わりつつある
あきらめた。 まあ、色々
頑なに握り続けた武器を地面に落として
両手を高く上げた
けれど
誰も 捕まえてはくれず
誰も 撃ってはくれず
みんな 門限で
家に帰ったことを
さっき知った。

だからこのまま
闇を抱いて
光に賭けていきたい。



もり

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コメント: 4
  • #1

    たあな (木曜日, 22 12月 2016 00:00)

    はじめて読んだあとにすぐ2回目を読んだ。自ら選んで読んだし、のみ込まれるように読まされた。
    特に、「職場の後輩に」以降から最後までをまた読みたいと感じて2回目を読んだ。

    素直に感じたまま書かせていただいたので、失礼な物言いになっているかも知れません。
    素敵な言葉と思想に触れられたと感じています。
    ありがとうございます。

  • #2

    ユーカラ (木曜日, 22 12月 2016 08:22)

    持ち続けた暗闇をちゃんと見つめる力がなければ、襲いきた絶望にも打ち勝てないと思います。その上尚光を信じて進もうとするところに打たれました。

  • #3

    もり (木曜日, 22 12月 2016 17:43)

    たあなさん、コメントありがとうございます。
    すごく伝わりました。

    ぼくはまだ日常と表現との間に高い壁があって、それを壊さないまま自由に行き来するすべを探しています。
    まだまだかっこつけようとしてますが。

    レスポンスうれしいです。ありがとうございます。

  • #4

    もり (木曜日, 22 12月 2016 17:48)

    ユーカラさん、コメントありがとうございます。絶望という言葉をかんたんには使いたくない反面、日常に点在している気がします。
    それは自作自演の可能性も否めないんですが。
    しぶとく、0.5ミリでもいいから、光のほうを向いていたいと思います。