棚卸



棚卸のバイトをしている
かなり断続的にだが。

棚卸とはざっくり言えば
お店の商品の
在庫を数える仕事で、
それによってお店側の資産等が明らかになる
で? っていう感じにもなる
どういう必要性があるのか
いまだによく分からないが、
法律か何かで決められているらしい。
よくわからなさに
惹かれている
今まで販売職もしてきたが、
ひとの購買欲を必要以上に
煽って
自分なら買わないモノを買わせるのが嫌になってきた。
業界では「需要を生み出すこと」がしきりに叫ばれているようだけど
おれは販売員としての素質がない。
不安を煽れない。
その点
棚卸は、モノを消費させるわけではない。己の体力ははげしく削られるが。
数えて、戻す。シンプル
「無用の用」という
言葉が好きだ。

バイト検索すると
「かんたんなお仕事です」
というキーワードとともに
出てくる。 かんたんな仕事ではない。 「仕事」と名のつく時点でかんたんじゃないだろう。
タイムカードまで
三千里はある

商品を数えることひとつにも数多くのテクニックがあるが、
「俯瞰して見る」というのは必須だ。
例えば ひとつの角度からは
4個並んでるようにしか見えない缶ジュースも
見る角度を変えれば、5個あったりする。
近くで見ると同じ商品だと思い込んでしまうものが、
少し離れて視野を広げると
ちがう商品だったことに
気付いたり。
棚卸に人生の歩き方は内包されているような気もする。
そんなことを深夜のドラッグストアやスーパーで考える。
膝が痛い。
百貨店で十万円の羽毛布団を数えながら、
それでぐっすり眠ることを考える。妄想で完結させる。
薬局でコスメコーナーをカウントしながら女の子の複雑さをおもったりする。

いろんな店で
たびたび目にする
販売員の心得てきなもの

「お客さまを笑顔で 〜なんちゃら」

「笑顔の〜なんちゃら」

「売り場に出たらつねに
笑顔の接客を」


それを見て
笑えずにいる


( 追記 )
すこし書き方が
乱暴な気がしたので
追記。
職業に貴賎はないと思ってます。
あるのは 生き方の問題であって、
おれ自身が今
こういうふうに考えてしまう以上、
販売員はやれないのだな、と。
自分のまわりにも
接客販売してるひとは
たくさんいるし、
そのひとたちのことを
ぐちぐち言いたいのではないです。






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