罪と依存


少し前に清原氏のインタビューをYouTubeでみた。

覚醒剤で捕まるまで、そして捕まってから、今後、
拘置所での様子など赤裸々に語ったやつでわりと長いインタビューだった。
「今どんな風になってるんやろうか」という軽い興味で動画を開いたが、だんだん目を離せなくなって全部みてしまった。

薬のなかでも、覚醒剤のおそろしさは中島らもさんの本などで多少理解があったつもりだが、清原さんの一言一言、その目が、改めて真実を語っていた気がする。

「スターの転落」
これが好きなやつはけっこういるんじゃないか。
でなきゃ週刊誌なんか売れない気がする。

反省、とは何だろう。

世間をさわがせるとは。

毎年世間をさわがせている
台風なんかが謝罪するのをおれは見たことがない。

結局 世間はさわぎたいんじゃないか。

おれも法的に罰せられてはいないが、ひとを裏切ったり、傷つけたことがある。いや、現在進行形だ。
いまだ謝ることができずにいる人たちがいる。
ここにそんなことを書いてどうこうなるわけではない。
自分を守ろうとすれば、言い訳はあとからあとから出てくるし。
でも
自分を守らねば死んでしまう。

アンチ巨人なので、選手時代の清原は好きじゃなかった。
今も好き嫌いというのはないけども、
えらいと思う。
動画をみているとき、瞬間瞬間におれはそう思ってしまった。

テレビがないからあまりわからないが、世の中のだいたいの事件・スキャンダルが対岸の火事とは思えない。加害者についても、
被害者についても。
理解できません、という
理解できませんということに動かされてしまう一瞬が
人間にはあるのだと思う。
それはとてつもなくこわいけど。

(覚醒剤を) 今日はやらなかった 明日もまたがんばろう
そんな風に一日一日を積み重ねて清原氏は覚醒剤から離れようとしているらしい。

覚醒剤の依存性はすさまじいらしいから、きっとそうするしかないだろう。中毒者にとっては善悪よりも、ただ優先順位第一位がクスリになってしまうのだという。
それを捕まったからといってスパッと断つ、
そんな簡単なら依存しない。
おれはタバコですらきびしい。もしタバコがある日突然違法になったら、次の日から終日脂汗を流すことになると思う。人間は誰でも何かに依存している、とらもさんも言っていた。
それはクスリだったり酒だったりタバコだったり、そんなイメージのあまりよくないものだけではなくて、
恋人であったり、買い物であったり親であったりペットであったりスマホだったりもするわけだ。
ある日突然、それを「断て」と言われたら、どうだろう。
依存するものがたまたま違法じゃなかっただけかもしれない。

コメント欄に「死ねよ」と書くひと あなたは、
自分が書かれるようなことをしないと信じて疑わないのか。けっして。1ミリも?
来世でも?

息子さんの話題に触れて涙をこらえきれないでいた清原氏。野球についても、今後どうなるか今は何も言えない感じであった。

おれはこれからの清原に期待も何もしていない。
ただ動画をみて、毎日その人生の打席には立ち続けてほしいと思った。結果がどうであれ。もう無理してホームランを打ってほしくはない。
おなじ人間だと思った。



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