クラナッタ



クラとナッタはかつて同じ職場で働いた。
身体のきかないご老人たちの、生活を援助(誘導)する仕事をした。
「介護士ね〜」と呼ばれてるたびにクラは「いやちがう、
伝道師だ」と自らの肩書きを訂正した。
合コンの会話が一瞬途切れ、女子たちは顔を見合わせた。

クラは自負心が強かったため
、遅れて介護業界に足を踏み入れたナッタにもはじめ、容赦がなかった。ナッタは物静かな青年で、履歴書を見るからに他分野ではかなりのエリートだったようだが、
「エリート」その言葉をきいてクラが浮かべたのはあの菓子だったから、まあ関係なかったし、過去とか食った飯の話はまじでどうでもよかった。
ナッタはそんな彼の無知や無関心に内心ほっとしたのかもしれない。
指導中、ときに手をあげることもあったが、根は優しい性格であるクラをナッタは早くから理解していた。
休憩中、彼はよく煙草をくれた。ナッタは非喫煙者なので、一度たりと吸うことはなかったのだが、家に持ち帰ってはディズニーランドのカンカンに入れて大事にした。カンカンの数はどんどん増えていった。

「ちくしょう・・」
クラの頭を悩ませる問題がただひとつ。それはどんなに完璧におむつをあてても塞ぎきれない「漏れ」。軟便程度であれば彼の技術によって流出を防ぐことはできても、便秘により浣腸を施された菊の門から噴き出る、土石流のような便にはとうてい太刀打ちできない。夜勤で迎えた朝のおむつ交換時、利用者さんの布団をはがしシーツまであふれた便を見るたび彼は呆然と立ち尽くし、そのあと決まって我を失った。外に飛び出ししばらくは帰ってこなくなる。それをいつも黙ってフォローしたのがナッタだった。
彼はクラの涙ぐましい努力を知っていたから。
休みの日はおむつメーカーの生産工場へ出向いたり、
利用者の方々の体型や漏れ方の特徴を記入した分厚いノートの存在。保育所でかけもちのバイトをしていること。
家では自らおむつを装着し、日夜 あてかたの研究をする日々。その悔しさ歯がゆさが痛いほど理解った。

ある夏の夜。サイゼリヤで飯を食った帰り道、シケモクに火をつけながらクラがぼそり、と言った。
「漏れぬ・・」
それから長い沈黙が続いたが、わかれ道の直前で、もう一度彼は口を開いた
「漏れぬ・・、おむつを開発しないか。おれとおまえの二人で。二人だけでだ。何があろうと、絶対、漏れぬおむつだ」
息がほんのり、エスカルゴ臭かった。
ナッタは黙って、頷く
どこかで花火の音がした

それからの二人の加速度はすさまじかった。お互い職場を退職後、ナッタは昔いた超一流大学の大学院へと進学し、力学や人間工学、台数的位相幾何学、重力物理学そして理数系の分野にとどまらずさまざまな観点から「漏れぬおむつ」へのアプローチを試みた。とりわけ図書館に一カ月泊まりこみ読み漁った『日本書紀』や、作者不詳の絵巻物、詩集などはたいへんためになった。

クラはというと、まず『インディ・ジョーンズ』の三部作をレンタルして観たあと、総理大臣へ「漏れぬお襁褓開発、漏れぬ社会実現に向けた予算作成依頼」と書かれた手紙を書いた。返事はきたかどうかわからない。次の日には海外へと旅立っていたから。左肩に「破裏尊」と小さく刺青を入れた。そしてさまざま場所を訪れ、
「漏れぬ」をつねに頭の中心に置きながら現地の人々、ときには動植物、太陽や月、ジャッカルなどと対話した。
秘境の地でついに彼は漏れぬおむつにとっての最高の素材となりうる樹木を発見し、地元住民との数年にわたる死闘のあと、森を制圧し大量の素材を手に入れる。
その後は呪術師などとも結び、呪術の観点からも「漏れぬ」を追求した。
先輩呪術師は彼に噛みタバコを勧めながらよく言った
「この地球の質量は変わることがなく、漏れるという概念は元々ないのだよ」
夕陽に目を細める。
名前のわからない鳥の群れが空に落ちていく

そうして何十年かのときが経ち、
流れた時計の砂は広大な砂丘をつくりだしたのち、

二人はとうとう再会した
別に約束したわけではない
直感でわかるのだ
羽田のロビーに降りたったクラにもはやかつての面影はないようにも見えた。傷んで腰まで伸びた髪、仙人のような髭、浅黒い肌、もはや服とは呼べぬボロ布をまとい、なぜか肘から先の無い左腕、ロープでつながれた謎の犬、異臭。
しかしナッタにはわかった
彼はクラであり
彼こそが伝道師であると
目を合わせることすらなく、お互いに同じ道を歩きはじめる。気配。しばらくしてクラの目はすでに光を感知できなくなっていることがわかった

二人は東京郊外にあるナッタの研究所兼住居で、「漏れぬおむつ」の現物作りに着手した。

クラの集めた素材の数々( 数種の樹木の皮や葉、草花の根 )、装飾品、呪術、薬草、合気道、占星術、宗教、犬の糞、謎の液体、ダンス、錬金術、 絵画、陶芸etc

そして

ナッタの学んだ東洋西洋医学、宇宙科学、微生物学
、歴史・地理、人類学、銀河天文学、文学、危機管理論、スポーツ科学、哲学、民法刑法、マルクス経済学、簿記、エスノメソドロジー、軍事学、詩、ジェンダーetc

それらの要素すべてがミックス、かく拌され、天日干しされときに閉じ込められ、
ついに
「漏れぬおむつ」が
出来上がった。
オーブンから熱々のおむつをナッタが取り出す。黒いプレートの上、湯気を立ちのぼらせるおむつ。

「おかえりぃ言うたわ」

目を閉じたままクラが言った。ナッタはまた、こくり、と 頷いた。
二人とももうすっかり老けたこんだように見えた。時は流れていた


そして、運命の日。
アポイントを取り、完成品をしたがえて二人は、某有名おむつメーカーの本社へと向かった。一世一代の大仕事。
丸刈りにし、こざっぱり、スーツを身につけたクラのネクタイを整えてやりながらナッタは沈黙で語りかける。

「今日ですべてが終わるさ
今日ですべてがはじまるさ
って誰の歌やっけ」
クラがボソッとつぶやく。
黄色いネクタイがよく似合う男。

ナッタが事前に送っていた長さ40mにおよぶプレゼン用の絵巻物のおかげか、
会社は得体の知れぬ二人に社内の大ホールを用意してくれ、重役や研究者、営業マンらがその模様を固唾を飲んで見守るかたちとなった。
壇上でまずクラが手短に挨拶をした。ナッタはあくまでも脇役を貫こうとしていたが、
クラが突然 肩を抱いてきて言った
「みなさん、こいつは、
とんでもねえ阿呆です」

「おれもずいぶん変わっちまったような気がするけども、それはひとえにこいつと今日の晩、うまい酒を飲み交わすためだったのか・・・」

声が震えていた。

「・・つまりは、な。ありがとうだ
ダンケ謝謝サンキューベリマッチ」

そして「漏れぬおむつ」を装着したマネキンが壇上に運び込まれる。仕込まれた大量の便に似せた液体が、「3,2,1」の掛け声とともに
噴射される。

3

2

1




マネキンのふとももに
茶色い筋がつぎつぎに
流れた。

静寂 ────────

クラは目を閉じたまま、
微動だにしなかった。
その呼吸は
止まっているかのように

「漏れてるじゃねえか!」
「絵巻物てw」
「時間返せバカ!」
「メーカーの力甘くみんなよ!!」「くさ!」

一斉に野次が、
二人目がけて飛んだ。

ナッタはうつむいたまま、肩を小刻みに震わせていた
しずくがいくつもいくつも、
壇上にこぼれた。
気付いたときには
叫んでいた

「これが漏れている!?」

「はあ?!?!」

「ふざけんじゃねえ!!てめえらの目には見えねんだ!!!めくら

おれたちふたりには、

おれたちにはなあ・・!」


野次は勢いを増した。
茶色い液体は二人の足元に、届こうとしていた。

ひとしきり叫んで
ナッタは膝から崩れ落ちた。
クラはパイプ椅子の上で
目を閉じたまま
夢を見ていた
空を