換気



最近は職場と家の往復でその中間に壊れたモグラ叩きゲームがあって数百の穴のすべてからもぐらが頭をのぞかせたまま静止していて そのズラーッと並んだ頭を金属バットないしフリーペーパーを丸めたやつで叩いてるような毎日かな


安定して金がないが 金がないとあんまり言うと まわりは心配するし気を使わせてしまうし、金のあるなしは誰と比較してのことかもわからんし、
こういうことは公にすべきではないのかもしれない
ただ、金や性の話をオブラートに包まないいけない気がするこの国の妙な圧力は何だろうか。腹を割って話すとは。
腹筋ワンダーコアを買ってから言えよ、ってことか?


「金がないから行けません」
って言うのは 「金払うほどの価値を見出せないので行けません」というようなものかもしれぬが、そんな単純なものでもないと思う。例え自分が心の底から尊敬するアーティストが近所でライブするとしても、自分のテンション次第では行かない可能性は高い。
「予定があって」「金欠で」
よりも、「何となく今日はやめとくわ」みたいなノリはいいと思う。何でもかんでも理由を説明する必要はない。
政治家もそんなこと言ってる
極論 明日のおれのことはおれには関係ない知らん。
絶好の球を見送って 悪球に粘り続けるおかしなひとに救われよう


野球はわくわくする。たぶんデータとかを見るのが好きだ。 引きこもり時代も野球のゲームに浸り、自分でオリジナルチームを作り選手を作り、一人ひとりの選手の経歴まで妄想し、あげくスポーツ新聞まで自作していたこともある。当時は、阪神の藤川球児のストレートに励まされていた。
今 テレビはないが、便利なもので一球速報アプリだなんてきちがいなツールもあり、
たいへん重宝している。
野球の話ができるのは同じ阪神ファンの蛇口さんがいる。
むしろ蛇口さんがおれのくすぶっていた野球熱に風を起こしたのかもしれない。
毎日野球があることで壮大なひまつぶしである人生のひまは幾らかつぶれ、
モグラも叩けているので感謝である。今年は楽天の茂木くんを好きになった。


自分の文章は遊びが少ないなあ、と感じる。根がまじめなのだろう。まじめというか、潔癖であって、アシンメトリーに憧れるシンメトリーなのかもしれない。いつも結局、汚れてんだけど。整理とか計画とかそういう地味な作業をひとりでするのが好きなのか。 自分のものを自分でくわえて丸くなって転がるごろごろごろごろ
ライカアルマジロ


人生の重要なテーマのひとつに 換気 がある。
空気の入れ換えは、個人としても何らかの集団としても大事だと思う。
だから職場でも誰かに付いたりしないし、朗読界隈でも自分なりの距離をとっているつもりだ。まあ寂しがりなハリネズミだけかもしれない。
つねに外の空気をまとった存在でいたいとは思っている
窓を0.01ミリでもいい
開けよ
触れるか触れないか
相模ゴムをこえて
換気せよ 換気
開けよ もっと開い
0.01 マチ針
換気せよ
換気せよ
換気せよ
歓喜せよ



明日は数年ぶりの健康診断。
健康かなあ


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