切手のない手紙



東京は晴れていた

暑かった。

休憩中に屋上で知って

鳥肌が立った

家に着いてから涙が出た。

たぶんおれはつねに心のどこかで

泣きたいんだとは思う

けど、

これは、くやし泣きだ。

ここ1年と少しの間、ばあちゃんや
職場の先輩などに急に旅立たれ、

そういうときにしか泣いていない自分が

なんかくやしい

スポットライトの当たるタイミングが

涙を拭う瞬間の無数のシャッター音が

なんかくやしい

傍観して

他人の涙にシンパシー感じて

安心する

そのように

自分はいまだにんげんである

すきなひとがいなくなっても

ちんちんは上を向いてしまうし、

また、書いてしまう。

それをも、肯定してくれるだろう

でも肯定してくれても、おれはやめないと思う

今日、

人知れず息を引き取った独居老人も

野良猫も

ホームレスも

爆死した宗教指導者も

パック詰めされた

ちりめんじゃこの一匹一匹だって、

みんなたぶんいつか生まれた


書くことが、あまりに容易い

おれは、あなたの、きっかけはどうであれ
ここ数ヶ月あなたのブログを読んで

感じたことがある。

それを言わずに生きると思う。

生かされようと願う。

祈らない。

小林麻央さん、ありがとう。



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